リケジョ的教育のすすめ

京都大学工学部で学び、現在は京都大学で働く正真正銘のリケジョ。中学受験と大学受験を経験した子どもたち、一緒に研究をしている学生から得た教育の極意を伝授します。

【京大理系研究室】出所不明の奇怪文書を作成してはいけない

最初に名前を書く

 本日は専攻全体の修士1回生たちの中間発表会です。1人3分間のフラッシュプレゼンテーションをおこなうことになっていて、昨晩は約50名分のパワポを一つにまとめる作業をしていました。フラッシュプレゼンは口頭で要点のみを伝え、質疑応答を行わないものです。あとにポスター発表が控えていて、そこで質疑応答がおこなわれます。

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 学生たちの提出ファイル名が「中間発表会」となっていた点で、突っ込みどころ満載。自分で使う分には不都合ないかもしれませんが、提出用が中間発表会なのは困ります。全員ですもん。「2018年度中間発表会_がじゅまるん」みたいなファイル名だと合格です。中身をあけてみて、タイトルがないものや名前がないものが複数ありました。そんな大事なものを省略してどうするの、という感じであります。速攻差し替え命令です。

 小学生の時に習いましたよね、最初に名前を書きましょうと。小学生だけで終わりじゃないですから。タイトルも重要です。いきなり話を始められてもついていけません。タイトルで相手をギュッと自分のところに引きずり込むんです。

文書に責任をもつ

 研究室内でのゼミ、ディスカッションの際に作成する資料には、名前と日付を書くように常に言っています。研究室に配属された学生は、そんな習慣はないので、学生時代に学ぶことの一つなのだと思います。名無しの権兵衛さんがいつ作成したかもわからない資料は闇に葬られてしまいますからね。日付があると、あとから見直すときに助かることがしばしばあります。丁寧に書くようになります。処分していいものかどうか判断がしやすくなります。いいことずくめ。時々、〇月〇日だけ書く学生がいますが、それは研究や研究室が翌年以降も続くことまで想像が及んでいないだけ。ちょっと気付きを与えてあげると、同じ間違いをしなくなります。

 出所不明の奇怪文書がお役所で見つかるのは最悪ですね。名前も日付もちゃんと記載する文書ばっかり作っている人たちが残す「怪文書のようなもの」には何の説得力もありません。自分が作った文書に責任をもつまっとうな大人を増やしましょう。

失敗も書面にして残す

 失敗した事例をだそうとしないために、「何も報告することがありません」と進捗がゼロの資料をもってくる学生がいます。実験条件だの結果データだの資料がないと、何がどううまくいかなかったのか、さっぱりわかりません。なぜ期待した結果がでなかったのか、考察して改良することに意味があるのです。膜ができるはずが粉になった、黄色くなると思っていたのに透明のままだった、勝手に自分でおかしいと考えて、何も結果がありませんと報告してくるのはもったいないです。そもそも失敗かどうかもわかりませんし。事実を文書なり表なりグラフに残しておくと、見えてくるものもあります。すべては大事なデータです。

今日のひとこと:文書は自分の分身