リケジョ的教育のすすめ

京都大学工学部で学び、現在は京都大学で働く正真正銘のリケジョ。中学受験と大学受験を経験した子どもたち、一緒に研究をしている学生から得た教育の極意を伝授します。

【兼業主婦】アドラー的生き方を極める

心理学と言えば

 大学生の頃、河合隼雄先生の心理学の講義にでていたことを思い出しました。河合先生が有名だったから受けてみようと思っただけです。オーストリアの精神医学者フロイトは、全ての人に「エス(欲望)」という快楽を求める心が根底にあるという考えで、無意識が夢に現れると言っています。その欲望は性欲が全てみたいな感じで、「それはないわ。」と私には全く共感の余地なしでした。次に登場したのはスイスの精神医学者のユング。河合先生はユングを深く研究さていて、結構熱がはいった講義だったはず。はるか彼方の記憶。ユングも無意識に注目していますが、個人の無意識を超えた集合的無意識を持ち出しました。普遍的に人類に存在している元型が、時代や場所、民族に影響されるという考えです。それはそうかも、でもそれがどうした?と思ったくらいで、特に感銘を受けたことは何もなかったような。

アドラー心理学の入門書

 なぜ心理学の話を思い出したのかというと、家に転がっていた「嫌われる勇気」を手に取ったからです。この書籍は、岸見一郎、古賀史健共著の自己啓発本で、アドラーの教えを哲人と青年の対話方式でわかりやすく説いています。幸せを感じていない青年が哲人に諭される様が、多くの人の共感を得ているのでしょうか。

 読んでみて、自分はアドラー的な生き方をしているということがわかりました。「人間の悩みは、すべて対人関係の悩み」らしいです。私も、人間関係やチームがよければ向上心をもって何事も取り組めると信じていて、今のところ間違ってはいなさそうです。その人間関係をどうやって築くかにみんな悩んでいるんですよね。私の場合、自分を隠しません。かなりオープンです。苦手な人はいても、嫌いな人はいません。苦手な人に対しては、いいところを探すように努め、普通の人よりもあえて距離を縮めます。そうすると相手との壁が低くなって、苦手意識がどこかへ消え去るものです。そうこうしているうちに、最初から苦手だと感じることもなくなっちゃいました。合わないなと思う人はいますよ。でも、合わないだけで、嫌いでも苦手でもないので、感情を揺すぶるようなことは起こりませんね。仕事や子どもの関係で一時的に付き合いがあっても、なぜか合わない人は自然と遠ざかっていくこともわかったので、全く苦ではありません。

課題を分離する

 アドラーさん、いいことを言っていますね。現状満足していない人生も

、自分が望んだからそのようになっていると。人生は自分が選んだ道の結果なのだから、その通りだと同感です。現状に満足していないのであれば、この瞬間から自分が変わればいいのです。一見不幸と思える病気や災害は、どのようにとらえて生きていくかが問われるのだと思います。

 他人からどう見られているかを気にする人生はしんどいですよ。私の周囲にもいます、他人の目が気になって自己否定を繰り返し、悪循環に陥っている人が。あと、自己肯定感がとっても低い人たちと。京大生が何をそんなに悩むのか。でも精神的に不安定な人は、世間一般より多いと感じます。

 他力本願に生きていて、他人が自分の期待通りに動いてくれないとへこみしますよね。これらをやめちゃえばとっても楽になります。他人がどう思うかなんて、基本自分の力で変えることはできませんもん。他人に期待しなければ、がっかりすることも怒りの感情がわくこともありません。自分がどうしたいか、自分がどう動くかに集中する方がよっぽど生産的ですし、結果的に周りも変わることが往々にしてあります。

 子育ても同じです。期待するから怒りたくなる。期待してはいけないのです。水飲み場に連れて行くことはできても、水を飲むかどうかは本人次第。台風並みの追い風が吹いていても、本人が走らなければいつまでたってもゴールにたどり着きません。それを忘れてはいけないと常に自分に言い聞かせています。子どもだって子どもなりにいろいろ考えています。対等な立場でアドバイスができるといいですね。逆に怒られたときは。あ、この人は私に期待しているんだと思えるようになれば達人域です。

 全然気づいてなかったけど、自分はアドラーの弟子だったんだ!と勝手に解釈する私。実際のところ、毎日いろんなことが起こりすぎるので、このくらいのポジティブさがないとやってられません。いくらでも降ってわいてくるトラブルについては、面白いネタが増えたと思えば楽しくなります!

今日のひとこと:幸せになるかどうかは自分次第