リケジョ的教育のすすめ

京都大学工学部で学び、現在は京都大学で働く正真正銘のリケジョ。中学受験と大学受験を経験した子どもたち、一緒に研究をしている学生から得た教育の極意を伝授します。

【介護】ここぞというときは見えない力が働くようである

願った通りにことは運ぶ

 18年に及ぶ介護生活が終わりを告げました。母を見送って、喪失感よりも無事に役目を果たしたという実感の方が強いように思います。食事が喉を通らなくなって19日目、点滴での水分補給も断って7日目でした。今から遡ること7年。もう喋ることができなくなっていた父に「あとは任せて!」と書いた紙を見せると、「うんうん」とうなずいて父は母を残して旅立ちました。気まぐれでしかお墓参りに行かないのですが、3/24に何となく墓参りに行く気になり、父の墓前で「そろそろお母さんそっちに行くと思うからよろしくね~」と言ったのです。なんとその日から母はご飯が食べられなくなり、その後も回復の兆しは現れず、鳥肌が立ちそうでした。「よく頑張った。」と父が母を連れに来たのでしょうね。

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 水も断ってからは、いつ天に召されてもおかしくない状況で、葬儀のことを考えるわけです。新年度始まったばかりだし、子どもたちに学校を休ませるのは気が進まないなぁ。でも日曜日に告別式ができるほどは、もちそうにないなと。ところが母はよく頑張りましたね。4/11(木)に、昏睡状態で息も細くなっていた母に、もういいよ。」と声をかけると、最後に大きくふぅっと息を吐いて呼吸をやめました結局日曜日の告別式となり、親しかった人たち全員に集まってもらうことができました。息を引き取った後、葬儀屋さんに来てもらうのが4時間後と決まったのも必然だったのか、愛知県から大阪まで車を飛ばしてきた弟は施設をでる母を見送るのに間に合ってしまって何もかもがうまくいきました。

施設の職員さんは家族

 施設で生活をするわけですから、施設の職員さんは家族みたいなものです。母が呼吸をやめて、脈が止まるまでの1分間に満たない時間に職員さんたちが続々と駆けつけてきてくれて、10人くらいで見送ることができました。こんな大家族に看取られるなんて今どきありえない話で、なんとも幸せ者です。週に2回、各2時間しか滞在しない医師が往診中だったのもできすぎでした。 

 母が旅立った後、看護師さんと職員さんが身体をきれいに拭いてくれ。用意していた着物を一緒に着せて、口が開いたまま硬直しないようにあごの下にタオルを挟んでと、私も一緒にエンゼルケアを施しました。とっても暖かくて和やかな時間を過ごせてよかったです。こういうことは、本来病院や葬儀屋任せではなく家族がするものだと感じました。死化粧も自分たちでしましたよ。

 施設に泊まった時は、施設長さん自ら簡易ベッドを組み立て、温かいお茶と冷たいお茶を差し入れてくれる気遣いが嬉しく、涙がでそうでした。職員さんから供花と弔電が届いて、葬儀には2名来られ、棺に入れるお手紙を書いてきてくださいました。施設に入れたら可哀そうだという声を聞きますが、全然そんなことないです。しっかり選べば、そしてほったらかしにしなければ、サービス提供者と利用者という枠を超えた家族以上の家族的関係が築けます。

土にかえるまで

 死後、最初にしなければならないのは死亡届の提出です。医師からもらう死亡診断書を添えて、必要事項を埋めて死亡届を役所に提出します。これを出さないと火葬許可証がもらえず、火葬することができません。許可証が発行されるまでに小一時間かかりました。許可証は骨と一緒に返却されて、納骨の際にまた使用することになります。

 私が住む自治体では、公設の斎場と火葬場が同じところにあり、母の棺は親族たちに抱えられて火葬場に移動しました。霊柩車いらずです。約1時間半後に親族29名で骨を拾って、骨壺に収まりました。私の骨を拾ってくれる人はそんなにいるかなと思って、これまた母は幸せだなと思ったのでした。

 ちなみに。霊柩車は1回いくらで料金がかかります。例えば、病院から自宅、自宅から斎場だと2回使うことになり、1回13,000円×2回で26,000円です。夜間だと3割増しくらい。民間の霊安室を1泊使わせてもらったのですが、それが20,000円だったとか、その他もろもろいい商売ですよね。湯灌は7~10万円が相場です。

 告別式には母の着物で臨み、挨拶は私に喋らせて欲しいとマイクを持ち、これまでお世話になった方々への感謝の言葉を余すことなく伝えることができました。泣いて笑っての怒涛の1週間が遠ざかりつつあります。

今日のひとこと:思いは届く