リケジョ的教育のすすめ

京都大学工学部で学び、現在は京都大学で働く正真正銘のリケジョ。中学受験と大学受験を経験した子どもたち、一緒に研究をしている学生から得た教育の極意を伝授します。

【中学受験】多感な時期を過ごす環境の重要性

人格形成の時期

 中学高校時代は、人格形成において非常に重要な時期ではないかと思います。その時期を過ごす場所は慎重に選んだ方がよさそうです。何足も履いているわらじのうちの一つ、自分の中高時代の同窓会幹事を引き受けていて、現在出欠をとりまとめているところです。久しぶりに連絡をくれる人から、出席の返事とともに軽く近況報告をしてもらえるのは嬉しい特権です。一方で、欠席する人たちのなかには、学校にいい思い出がないので参加しないということが少なからずあります。当時、先生や同級生から受けた言葉や楽しくない場面を、同窓会の案内を見て思い出した、という残念な報告も受けるわけです。そんな大昔のことを、今さら幹事に言ったところでどうなるものでもないですし、当人同士で話をしてもらうなんてこともしませんので、なんの進展もありません。それでも、吐き出さずにはいられなかった深い傷を思うと、当時どうにかならなかったのかなと思わずにはいられません。

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学校選びは子ども主体で

 学校を偏差値だけで選んでいないでしょうか。親の意向だけで決めていないでしょうか。中学受験が終わったので、学校見学会や説明会が始まります。親子で参加してください。この学校は何となく嫌だと子どもが言えば、その学校は消去です。何の思いもない学校に入学してしまうと、壁にぶつかったときに乗り越えるエネルギーが不足するかもしれません。尊敬できそうな先生がいた、部活が楽しそうだった、偏差値以外に何か魅力あるところを見つけてください。

大人ができること

 中学高校時代にそんな嫌な思い出はなく。大学でも嫌な思い出はなく、社会人になってからも全くないなぁという私はかなり鈍感なのかもしれません。中学高校大学と一緒に通って今でも仲良しの友人も同じことを言っています。私たち、挫折もなければ癒えない傷もないねと。校則が厳しくて、今なら即クビになりそうな体罰もあったし、常識とは違っても教師の言うことは絶対みたいな変な学校だったのですが、ひねくれた大人にはなりませんでした。言えることは、なんでも話せる友人がいた親がちゃんと話を聞いてくれていた学校以外の居場所があった、というところでしょうか。大きくなってもちゃんと子どもの話は聞きましょう。

 傷つけた方は、相手が傷ついたとは思っていないかもしれませんし、もはやそんな言動すら覚えていないと思います。成長途中の未完成な間は、相手を傷つける言動をしないかどうかは周囲の大人が気をつけなければいけません。それに気付くためにも、やっぱり子どもとは普段から会話をしておかなければいけないと思うのでした。

 昨日、修士論文発表会がありました。発表を終えた学生が、解放感から大きな声で騒いで麻雀を始めている姿を見て、「発表を控えた4回生が一生懸命準備をしているのにどういうこと?自分が済んだら終わりなん?」と一喝。想像力の欠如に愕然としました。頭でっかちの人間を社会に送り出さないよう、彼らの残りわずかの学生生活を有意義な時間にしたいと思います。これも親に代わっての使命ですね。

今日のひとこと:ネガティブな記憶は長く残る